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大学Webサイトの「これまで」と「これから」 進化の形とは(前編)【栄美通信様xBA対談】

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BAsixs編集部

BAsixsは、社会課題の解決と新たな価値創出をBAグループ全体で目指すためのサービスブランドです。

大学Webサイトは、インターネットの拡大期であった30年前から現在まで、ブロードバンドや常時接続の普及、スマートフォンやSNSの登場などにともない、大きな変革を遂げてきました。当初は大学側の一方通行の情報発信ツールとしての役割でしたが、現在ではスマホやSNSを駆使して「必要な情報を取りにくる」デジタルネイティブな受験生や高校生に「迅速に的確に情報提供する」役割が重視されています。

前編では、過去から現在までの大学Webサイトの役割がどう変わってきたのか、株式会社栄美通信 代表取締役社長の関 健一氏とビジネス・アーキテクツ(以下、BA)アカウントセールスグループ兼リテンション&ディレクショングループ GMの小山、リテンション&ディレクショングループ マネージャー兼ディレクターの野島が語り合いました。

大学Webサイトの「これまで」と「これから」 進化の形とは(前編)【栄美通信様xBA対談】

インタビューした人

プロフィールアイコン(イラスト):ディレクター/フロントエンドエンジニア 富本
富本ディレクター/フロントエンドエンジニア(ビジネス・アーキテクツ)

地元・愛知の印刷会社や広告会社にてWeb制作に携わる。2014年頃、フロントエンドエンジニアとしてBAに入社。現在、ディレクターとして開発・運用の進行管理やWebサイトのガイドライン作成やコンポーネントの設計・作成を担当しています。好きなキャラクターはリラックマ。イタリアとスイスに行きたい。

インタビューを受けた人

  • プロフィールアイコン(写真):株式会社 栄美通信 関 健一様
    関 健一様代表取締役社長(株式会社 栄美通信)

    1994年、神奈川大学経営学部国際経営学科卒業。同年、株式会社栄美通信入社後、営業部、営業管理部、営業本部を経て2023年より現職。大学で学んだコンテンツマーケティングの実用性と表現力に惹かれ、様々なジャンルのクリエイターとの共創することで生まれる表現を通して、効果的で説得力のあるコミュニケーションを目指している。

  • プロフィールアイコン(イラスト):第1事業部 事業部長 小山
    小山第1事業部 事業部長(ビジネス・アーキテクツ)

    BPOの会社でのなんでも屋を経て、2019年からBAへジョインしました。第1事業部で責任者をしております。

  • プロフィールアイコン(写真):第2事業部 マネージャー/ディレクター 野島
    野島第2事業部 マネージャー/ディレクター(ビジネス・アーキテクツ)

    2008年にビジネス・アーキテクツに入社。システムエンジニアとして中規模以上のシステム設計・システム開発を担当。現在はそのバックグラウンドを活用し、サイト構築案件から運用案件まで様々な案件のディレクターを担当。UXとエンジニアリングの観点から顧客の課題解決を行っている。

大学Webサイトの変遷 ~30年前から現在まで役割はどう変わってきたのか~

30年前―ネット社会の拡大期における大学Webサイトの特徴と役割

小山:多くの大学や専門学校がWebサイトを通じて、学校の魅力や特色、入試に関する情報などを発信しています。今でこそWebサイトの活用は当たり前ですが、栄美通信さまはそれ以前から大学や専門学校の情報発信を支援してきました。

関氏:栄美通信は、1959年創業の教育業界に特化した広告代理店です。65年以上にわたって、全国の大学や専門学校の広報パートナーとして各校の魅力を受験生や保護者などに届けてきました。創業時はちょうど国内に私立大学が次々に誕生した頃で、進学率も高まっていった時代です。そうした中で、当社には大学や専門学校の魅力を発信する「国内初の試み」をいくつも実施してきた歴史があります。

1960年には国内で初めて、関西のある私立大学の大学校舎空撮を、セスナを飛ばして実施したほか、1963年には国内初となる大学進学相談会を札幌市で開催しました。この進学相談会は、現在でもリアルとオンラインを融合した形で、年間約180会場(2022年度実績)で実施されています。また、神奈川県のある私立大学が国内で初めて本格的な大学案内を発刊することになり、その企画・制作を当社が担当しました。

さらに、受験戦争がヒートアップする一方で推薦入学を希望する受験生が増えてきた中、当社では1981年に「総合型選抜年鑑・学校推薦型年鑑」を創刊しています。これは、現在も全国約76%(3600校)の高校現場で活用され続けています。他にも都内の私立大学の入試を、オープンしたばかりの東京ドームで実施したり、学校紹介動画を作成したり、さまざまな取り組みで大学や専門学校の活動を支援してきました。現在、当社は東京本社と札幌、仙台、名古屋、大阪、広島、福岡の7拠点で、日本国内の国公私立大学の約80%、620校以上と取引があります。

写真:複数人で会話する様子

小山:改めてお話しをうかがって、「日本初」をいくつも実践されてきたこと、国内の国公私立大学の約80%とお取引があることなど、さまざまな実績に驚きます。そんな栄美通信さまは、大学のWebサイトの企画・制作にも黎明期から取り組んでこられました。大学Webサイト制作を長きにわたって手がけられてきたご実績を踏まえ、大学Webサイトの変遷をどうご覧になっていますか。

関氏:大学Webサイトの役割は、ちょうどマイクロソフトのWindows 95が登場した1995年からの30年間で、大きく3つの変遷があったと感じています。まずは、95年から2000年代初めにかけての頃です。

約30年前でインターネット社会の拡大期ともいえるでしょう。その頃の大学Webサイトの特徴と役割について、ひと言で示すと黎明期でした。国内にインターネットが普及し始めたといってもダイヤルアップ接続で、通信環境が今とは比べものにならないほど脆弱でした。Webサイトに掲載できる情報量も限られ、いわば「キロバイトの世界」。多くの情報を掲載すると表示にとても時間がかかってしまうので、初期の大学Webサイトはテキスト中心でした。

この時期の大学Webサイトの特徴は、「情報発信者である大学中心の設計」だったことです。当時の18歳人口は1992年がピークで205万人に達し、約半数の92万人程度が大学への進学を希望していましたが、大学側は毎年50万人くらいしか受け入れられない。半分程度が浪人だったこの頃は、大学側が学生を選別して入学を許可する「大学中心の時代」でした。情報発信も大学主体で、「受験生にうちの大学を選んでもらおう」というよりも、大学側の視点での情報発信でした。

また、当時はまだまだWebサイトは大学の情報発信ツールの主役ではありません。インターネット普及率が1997年に9.7%、99年に13.4%と、まだ10%前後だったこともあり、大学広報の中心はあくまでも大学案内などの印刷物でした。Webサイトは「補完的な役割」でもなく、「新しい世界への挑戦」といった意味合いが大きかったと思います。

私もこの頃に大学を卒業して入社したので、よく覚えています。ある埼玉県の私立大学のWebサイトの立ち上げを任されたのですが、やはり当時のインターネット環境でもきちんと表示されるようにデータ容量を抑え、そのうえで伝えたい情報が伝わるように、とても苦労した記憶があります。また、某全国紙の新聞社のWebサイトの「大学、短期大学情報」を委託され制作、運用管理、広告管理を当社が行ないました。

写真:関氏が話す様子

ブロードバンド・常時接続の時代、大学Webサイトにも新たな役割が

小山:黎明期の大学Webサイトは、あくまでも大学が学生を選別できる立場にあったというのは、現在とは真逆ともいえるかもしれませんね。大学Webサイトの主体はあくまでも大学で、受験生が知りたい情報や必要とする情報ではなく、大学が発信したい情報を伝えるというスタンスですね。それができる新しいツール、新しい世界に挑戦できるアイテムとしての役割が当時の大学Webサイトにあったと。それが、徐々に変わり始めてきたのはいつ頃でしょうか。

関氏:その後、18歳人口の減少や大学全入時代が指摘されるようになったことをひとつの契機に、「学生から選ばれる大学」となることが求められ、情報発信の主体が大学から学生に移行していくようになります。ただし、そこまで一足飛びにはいかず、その前段階として「大学ならでは」の情報発信の変遷がありました。大学にとって情報発信ツールの基本である大学案内のページ数が、どんどん増えていったのです。

当社が手がけた、ある都内の有名私大の大学案内はじつに300ページにも及ぶものでした。冒頭にお話しした国内初の大学案内が16ページ程度だったことを考えると、別の大学なので単純比較はできないものの、情報量が20倍弱に増えているイメージです。つまり、どの大学もより優秀な学生を獲得しようと、自分たちの大学の情報を開示し、魅力を伝えようとし始めました。

大学側の情報発信量が、どんどん増えていった時代、これが2000年代初めから2010年前後にかけての頃でしたね。

小山:確かに、2000年初めから2010年頃にかけては、ブロードバンド、常時接続が当たり前になり、一般家庭にもフレッツ光など高速回線が普及していきましたね。それにともない、大学Webサイトにもそれだけの情報量を掲載できるようになってきたと思います。

もうひとつ、iPhoneが登場したのもこの頃です。振り返ると、大学Webサイトを取り巻く環境が劇的に変わった時といえると思います。大学案内のボリュームアップにともない、大学Webサイトに掲載する情報量も増えてきた。さらに、スマートフォンでのインターネット利用が増え始めました。そうなると、大学Webサイトでも情報設計の重要度が高まってきたのではないでしょうか。

写真:小山が話す様子

関氏:おっしゃる通りです。ただ、当時はそこまでは意識がまわっていませんでしたね。確かに、インターネットの普及率が50%を超えた2000年代初めから、いよいよ大学も大学Webサイトを情報訴求のための重要な役割を果たすツールだと捉えてきたと思います。ただし、その役割は大学案内の情報をほぼそのまま大学Webサイトにも掲載するというものでした。確かに、それ以前よりは、受験生のニーズに応えるような内容は増えてきていましたが、あくまでも、まずは大学案内に何を掲載するかを決めて、その内容を大学Webサイトにも掲載していくという作り方が多かったと思います。

例えば、この時期に多くの大学で大学案内や大学Webサイトに掲載し始めたのが「研究室・ゼミナール紹介」や「就職内定者の声」など、この大学を選んだらどんなことを学べるか、どんな仕事に就けるのかといった受験生が知りたいコンテンツです。同じ経営学部でもA大学とB、C大学では何が違うのか、そのあたりの情報を研究室やゼミナールの紹介、インタビュー記事などで具体的に示し始めたのがこの時期です。こうして、大学案内は年々ページ数が増えて、それに比例してWebサイトのボリュームも増えていきました。

2010年以降にはスマートフォンの普及が本格的に始まるのですが、そのずっと以前から日本ではiモードやEZwebが普及していて、ガラケーでインターネットにアクセスする人が多かったのです。2010年にはパソコンからのインターネット接続がスマートフォンなどのモバイル端末からの接続に抜かれ、以後差が大きくなっていきます。そんなこともあって、当時、大学のWebサイトではパソコンで閲覧するサイトとは別にiモード用、モバイル用のサイトも作っていました。

教育業界の市場では、18歳人口が大学の入学定員を下回る大学全入時代が始まるといわれ始めてきたのもこの時期で、各大学がいよいよ本格的に競合大学との差別化、競争を始めてきたのがこの時期です。

2010年前後をターニングポイントに大学Webサイトの役割が大きく変化

10年前―大きな変革期を迎えた大学Webサイト

野島:当時のWebサイト制作における技術的な変遷をお話ししますと、Flashがまだ使われている時代でした。ビジュアルの良さがWebサイトに求められる時代でしたが、Flashがおもにセキュリティ上の問題で使用しない方向に動き出してから、Webサイトの閲覧者、利用者にきちんと情報を届けることの重要性が指摘され、「ユーザーファースト」のWebサイトを設計すること、HTMLなどのマークアップ言語の構文を正しく記述することが求められるようになってきたと感じています。

実際、Webサイト制作会社の中には、こういった流れを理解していない、把握していないところも多くあって、当然ですがお客さまもこうしたWebサイト制作サイドの状況は理解していないことも多く、まだ「カッコ良く見えれば良い」、「お客さまが良いと言っているのだから、これで良い」と作ってしまうWebサイト制作会社もありました。BAは、そのあたりをきちんと理解して、対応するように心がけてきました。

そのことはもちろん現在にもつながっていますが、さらに、そこから時代が進む中でUIやUXの重要度が高まり、アクセシビリティにも考慮した「Webサイト制作の標準的な作法」が固まっていったと感じています。

写真:野島が話す様子

関氏:確かに今、振り返ると2010年前後を節目に大学のWebサイトに求められる要件もかなりかわってきました。2012年に都内の有名私大のWebサイトのリニューアルを手がけましたが、そのときは、今でこそ主流になっているレスポンシブウェブデザインを初めて提案しました。大学から指定されたのは、例えば入試情報のページだと「~~.ac.jp/nyushi/」というのと、もうひとつ「~~.ac.jp/nyushi/mobile/」という2つのドメインでWebサイトを作るというものでした。

ただ、この「/mobile/」を作るのがどうにも気になるというか、無駄に思えて、作りたくなかったのです。そこで、当時、レスポンシブウェブデザインの技術をしっかりと持っているWebサイト制作会社をいろいろと探してBAさまにたどり着き、お声がけをしました。

野島:当時は、レスポンシブウェブデザインが普及する前だったので、ほとんどのWebサイトはサーバー側でアクセスしてきた端末がパソコンなのかモバイル端末なのかを判断して、コンテンツを出し分ける仕組みでした。この仕組みだと、コンテンツを更新するときにパソコン用とモバイル用の2つを更新しなくてはなりません。それに対して、レスポンシブウェブデザインにすれば、ひとつのコンテンツをアクセスしてくる端末に応じて見せ方を変えることができます。そのメリットを理解した大手企業などではレスポンシブウェブデザインが徐々に採用され始めていた頃です。

関氏:まだそれほど普及していなかったので、大学の担当者もレスポンシブといっても「それは、なんですか?」という感じでした。NHKアーカイブのWebサイトで採用していたので、それを見せてご説明した記憶があります。私が知る限りでは、大学Webサイトをレスポンシブウェブデザインで構築したのは、その都内の有名私大が国内で初めてです。今では、それが当たり前になっています。だから、ある意味では当社とBAさまが、大学Webサイトから「/mobile/」を駆逐したともいえると思います(笑)。

今でも鮮明に覚えているのは、BAさまとの最初の打ち合わせのときのことです。国内の大学のWebサイトはみな一様に当時、流行っていたL字型もしくは逆L字型のデザインでしたが、BAさまの会議室でその当時にトレンドだったそういったデザインを見て、「こういうのが作りたいのではない」とお伝えしました。そして、代わりにお見せしたのが、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)など海外の大学のWebサイトで、「こういうのができますか?」と。レスポンシブといった当時、先進的だった機能を実装できるシステム開発力とあわせて、UI/UXにも考慮したデザインでWebサイトを構築できるというWeb制作会社は非常に少なく、それに応えてくれたのがBAさまでした。

この有名私大のWebサイト制作は、当社とBAさま、我々にとってのひとつのターニングポイントだったような気がします。さらに、2010年頃からはソーシャルメディアが高校生にも本格的に普及し、受験生はもはや大学が発信する情報を一方的に受け止めるだけの「受動的な」ターゲットではなくなりました。

自らパソコンやスマホを使って能動的に情報を取りに来る、あるいは、ソーシャルメディアで自ら情報を発信する主体へと変わっていったのです。つまり、大学と受験生との位置関係がひっくりかえったのですね。大学Webサイトの変遷を振り返ると、このような3つの大きな波を経て、新たな時代に突入してきたと感じています。

写真:集合写真

情報発信ツールから「選ばれるためのツール」へ、そしてこれからの役割は?

大学Webサイトの役割は、この30年間で大きく変化してきました。1990年代のインターネット社会の拡大期から2000年代初めにかけての時期には大学側の「情報発信ツール」だった大学Webサイトは、スマートフォンやSNSが若い世代を中心に急速に社会に浸透した2010年前後を境に「受験生や高校生たちから選ばれる」ための重要なツールとして位置付けられるようになりました。

そして、2010年から現在までの間に、大学Webサイトに求められる機能や役割はさらに進化しています。「大学Webサイトの「これまで」と「これから」 進化の形とは(後編)」では、その変遷に触れながら大学Webサイトのミライを考えます。